なんかワタワタしていて開催前にメッセージを書き忘れたので、思い出したように書きます。
Ruby と初めての出会いは苫小牧高専の4年の応用数学の時間に @gotoken が「アナグラムの話が ruby-math であってさ〜」という講義を1コマ丸々使って解説していて、その時はへ〜程度で終わったものの、インターネットが使えるなら当時流行っていた日記を書いてみようと hns ではなく tDiary を選んだのが最初でした。
当時は見よう見まねのコピペプログラミング+ちょっと変更というレベルで、tDiary のプラグインを書いたり、既存のコードをとにかく読んで、どこをいじればどこの動きが変わるのかというのをデバッグしたりして過ごしてました。当時はまだ cvs や svn という時代で、パッチを tDiary に投げたり、プラグインを作りましたということをやってるうちに、コミット権をもらってコミットできるようになったというのが記憶に残ってます。今から考えてみれば、20歳ちょっとの人間に自分の作ったソフトのコミット権を渡すという @tdtds のフックアップは大変ありがたかったなあと思います。
その後。新潟の長岡技科大に行ったのち、札幌に就職。当時は C や C# の仕事がメインで、Ruby 札幌の活動にはそれほど直接関わったりはしなかったものの、イベントがあった時には顔を出したりするという感じで粛々と過ごしていたけど、Ruby で仕事をしたいなあと IRC で @kakutani に「Ruby で仕事したいんですが、今採用ありますか?」と聞いて、そこからえいやっと東京に転職活動をした。そこからは、Ruby と Rails と Agile で仕事をするという毎日が始まったのだったけど、ここでも @kakutani からのフックアップがあったからこそ、昼から Ruby 書いて給与ももらえてやばい時間が始まったと思います。
その後は永和で過ごしてから、GMO ペパボに転職して、ひたすら Ruby と Rails の開発とバージョンアップと、パッチをマージしたり、コードを消したり、toolchain を整備していたら今に至るという感じです。ひたすら Ruby をやり続けて 10 年くらい経った今は、執行役員として経営に関わる傍で、下のようなことを自分のミッションの一つとして暮らすことができるようになってます。
これらのことが出来るようになっているのも 2.0 リリースパーティーの時に @mametter が柴田さんをコミッタにどうですか、と推薦してくれたことと、@yukihiro_matz がいいんじゃないと、これもフックアップしてもらったことが大きいと思ってます。今の僕の動きは、 @mametter 曰く、あの時推薦してよかったということなので、世界的な規模でやばい(SKY)成果だと思ってます。
転機となったタイミングには全て Ruby に関わる人たちが登場していて、その人たちが新しく関わろうとする人を積極的にフックアップするということが重なって今の Ruby とそのコミュニティがあると感じています。自分も最近は積極的に若者に権限を委譲して行ったり、Ruby Prize にどんどん推薦したりするようにして、Ruby の開発や楽しい Ruby がこれからも続くように、自分の与えてもらったようなタイミングを自分の下の世代にどんどん広げていこうと思います。
Ruby 25 周年、おめでとうございます。