むだづかいにっき♂:満足度の高かったゲームのコメント欄経由。
ekkenさんの所に住み着いている粘着君が「ほめてあげるは謙譲語である」と言っているが、そりゃ違う。というか、こういうことを論じるときは少なくても辞書名くらいは明記しないと話にならない。
でだ。googleで「国語辞典」を検索したときにトップに出てくるgoo 辞書に使われている三省堂大辞林を使うことにする。大辞林の「あげる」の項目によると、粘着君は22番目と24番目を都合のいいように組み合わせている。以下意味の部分のみ引用。
(22)(補助動詞) 動詞の連用形に接続助詞「て」の付いた形に付き、主語で表されるサービスの送り手が、他人のためにすることを、送り手の側から表す。 (24)謙譲の意を表す動詞について、その意味を強める。
当たり前だが、「ほめる」という言葉はもともと謙譲の意をもたず、躾の意を持ち、一般的には目上から目下に向かって使う。 「ほめる」という言葉自体は謙譲語でもなんでもなくて単なる動詞である。あえて、謙譲表現にするとすれば「おほめにあずかる」が適切だろう。しかし、粘着君は22の補助動詞と24の意味を持ち出して、「ほめてあげる」は謙譲語だと言っているがそれは間違い。大辞林の用法をそのまま持ってくるが、22は「送ってあげる」「貸してあげる」、24は「差し上げる」「存じ上げる」という使い方が正しい。
ついでに、Yahoo辞書経由で大辞泉でも調べてみたが少なくても、謙譲の意としての「あげる」は一つしか見つからなかった。以下意味の部分のみ引用
13 動詞の連用形のあとに付いて複合語をつくる。 (「申す」「存ずる」などに付いて)へりくだった意味を表す。
むしろ、「ほめてあげる」は大辞林の12番目の用途に該当するだろう。以下意味の部分のみ引用。
(12)「与える」「やる」の丁寧な言い方。
つまり「ほめてやる」を丁寧に言ってるだけで、結局上から見下していることには変わりない。
つーか、アインシュタイン先生からもまずぐぐれって言われているんだから、「ほめてあげる」を検索エンジンで調べろよ!上位に出てくる用法は、ほとんどが子供の躾に関するものだからさ。
こうやって丁寧に解説してあげても、どうせ粘着君は聞く耳を持たないからなあ。あの手のタイプはotsuneさんのようにマメにマジレスして遊ぶか徹底スルーのどちらかがよいのではないかと。
以前、CSS: 「折り返す」pre に従って設定したはずなのに、今朝firefoxで見てみたら、折返しが適用されていないことに気がつく。
何でだろうとテーマファイルを調べてみたら、各種white-spaceの設定の後に
white-space: pre;
が記述されていたのが原因だった。さっくり削除して解決。
preで正しく折りかえされるようになったので、一行が長くても適当に改行しなかったら、今度はRSSリーダーで見たときに右側に突き抜けてしまった。そりゃ、RSSで文字情報だけを取り出してRSSリーダーで視覚処理を施しているから当たり前といえば当たり前。
うーん、preは投稿する時に適当に改行をいれて折り返すべきか、CSSでは見やすく改行されるから、RSSリーダーの読者には我慢してもらうべきか。これは困った。
RSSリーダーで使っているCSSにwhite-spaceを設定してねとお願いするのがみんなうれしい解決方法か?
早速、このサーバーにも仕込んでみた。予定についてはsunbirdとかは使ってないので、それほど効果はでないけど、ふとCalendarをみたいと思った時はタスクバーの時刻プロパティを開くよりも、こっちの方が一年表示とかが見やすくていい感じ。
del.icio.usで特定のpermalinkに対するブックマークコメント一覧を見るためには
http://del.icio.us/url?url=permalink
というURLにアクセスすればいいことを見つけたので、早速section_footer.rbに追加してみた。
はじめまして。どうも、粘着君です(笑)。<br><br>>当たり前だが、「ほめる」という言葉はもともと謙譲の意をもたず、躾の意を持ち、一般的には目上から目下に向かって使う。<br><br>この根拠は、どこにあるのでしょうか?<br>「あげる」については、あなたも辞書をひいて丁寧に解説されておりますが、「ほめる」については、「当たり前」とおっしゃるだけで、典拠を示されておりませんが?<br><br>あちらでも書きましたが、「ほめる」とは、「物事のすぐれている点を認め、それを良く言う」ことであり、この動詞自体に「一般的には目上から目下に向かって使う」ニュアンスは存在しません。<br><br>例えば、「部長、それは、ほめられるべきご判断だと思います」と言えば、別段失礼でもありますまい。<br><br>目上に対して「ほめてあげる」が失礼な言い方に感じられるのは、おそらくは過剰な敬意を表すことにになるからだと思われます。<br>「社長、いや、すごい、まじで、大人物ですな、ほんとに」などと言えば、かえってバカにされている気がするでしょう。<br><br>たぶん、えっけん氏はそうお感じになられて上から見下ろされているとおっしゃったのでしょうが、少なくとも、私が文法的に間違っているといわれる筋合いはありません。<br><br>なぜなら、私とえっけんさんは、少なくともネットの世界では対等の存在なのですから。<br>まあ、氏が私を部下扱いしているのなら、話は別ですが?<br><br>ちなみに、僕は旺文社の国語辞典の第八版を使用しました。
>「部長、それは、ほめられるべきご判断だと思います」<br>あなたは本気でこれを失礼ではないと思っているのですか?冗談ですよね?
「ほめる」に関する、しばたさんの説明は、下記引用文においてなされています。<br>>「ほめてあげる」を検索エンジンで調べろよ!上位に出てくる用法は、ほとんどが子供の躾に関するものだからさ。<br><br>>例えば、「部長、それは、ほめられるべきご判断だと思います」と言えば、別段失礼でもありますまい<br><br>その言葉では、「ほめられる」対象が、部長ではありませんし、部下が部長に言う言葉として、適切な物ではないと思われます。<br>これは実社会に出ている人で無ければ、判断が難しいかもしれません。<br><br>>なぜなら、私とえっけんさんは、少なくともネットの世界では対等の存在なのですから。<br><br>ネット上において対等な立場という事には、まったく異存ありません。<br>あのやり取りにおいては、敬意を示すどうかが問題点であり、少なくとも「ほめてあげる」が謙譲語(敬意を示す)と主張するはむはむ氏は、その対象(つまり、えっけん)を、その場限りでも目上として扱わなければならないはずです。<br>要するに、はむはむ氏は、丁寧な言葉を使う事で、相手を嘲笑しているに過ぎません。それを慇懃無礼と言うのです。
> 「ほめる」に関する、しばたさんの説明は、下記引用文においてなされています。 <br><br>それは「ほめてあげる」の説明であって、「ほめる」の説明ではありません。<br>そして、「ほめてあげる」も、下位には違う用法も出てくるんですよね?<br><br>>あのやり取りにおいては、敬意を示すどうかが問題点であり、少なくとも「ほめてあげる」が謙譲語(敬意を示す)と主張するはむはむ氏は、その対象(つまり、えっけん)を、その場限りでも目上として扱わなければならないはずです。<br><br>おっしゃる意味がよくわからないのですが・・・。<br>あの〜、対等な人間には、謙譲語を使ってはいけないということなのでしょうか?(笑) <br>敬意を表したら、立場が下になるのでしょうか?
えーと、僕もしばたさんも、関連エントリをブクマしている方々も、「えっけんがはむはむよりも目上かどうか」なんてことは論点にはしていないんですよ。その部分に拘っているのは、はむはむ氏一人です、今の所。<br>ここでの論点は「ほめてあげる」が謙譲語かどうかであって、「ほめる」と言う単語の意味でもないのです。(個人的には「ほめる」はやはり上から下への言葉と受け取りますが)<br><br>説明されてもわからなければ、実践するのが簡単でしょう。<br>たしかはむはむ氏は「学者の卵」という話をどこかで読んだ記憶があるのですが、本日より、いろいろな立場の人に、「ほめてあげます」と真顔で言ってみてください。<br>自分より上位の物(師事する学者とか、親、あるいは兄など、通常、タメ口が許されない人)に言えば、常識知らずと思われるでしょうし、対等な人(同級生や、学者の卵として同レベル)には、嫌な奴と思われます。<br>はむはむ氏は「ほめてあげる」は謙譲語だと言うのだから、こういう行為をする事に、恥ずかしさを感じないでしょうが、僕はとてもじゃないけど、そんな事出来ません。
ああ、そうか「ほめる」が躾の意とか目上から目下に使われるという部分が根拠が無く問題なのですね。では、その部分は主観で書きましたので訂正します。ごめんなさい。
敬語というものは、使われているうちに、だんだん価値が下がるものです。「お前」「貴様」なども、かつては目上に対して敬意を示す表現でした。<br>その意味で、謙譲語「あげる」の価値が現代では低下しており、目上に対して使用しにくい言葉になってきている、そのことは僕も認めます。<br>しかし、辞書に記されている以上、少なくとも対等の人間に対しては、成立するのではないでしょうか?<br><br>>対等な人(同級生や、学者の卵として同レベル)には、嫌な奴と思われます。<br><br>そうですかね?<br><br>「このお料理、なかなかいいと思いました。ここまでがんばった○○さんをほめてあげたい」<br><br>そんな嫌な奴ですかね、僕?(笑)
>あえて、謙譲表現にするとすれば「おほめにあずかる」が適切だろう。<br><br>これでは、私がえっけんさんにほめられることになってしまいますが・・・。<br><br>「たまにはおほめにあずかります」<br><br>何のことだか意味不明ですよ(笑)
話が拡散しているので、ある動詞に「あげる」をつけて謙譲語として使うためには、つける動詞そのものが謙譲語でなくてはならないわけです。「申す」に対する「申し上げる」、「存じる」に対する「存じ上げる」。そこはわかりますか?<br><br>で、当初の主張である「ほめてあげる」が謙譲語であるためには「ほめる」そのものが謙譲語でなくてはならないのです。そして、それを証明するのは私の仕事ではなくて、はむはむさんの仕事です。<br><br>>これでは、私がえっけんさんにほめられることになってしまいますが・・・。 <br>ですから、「ほめる」を謙譲の時に使う時にはそのような用法しかないのです。<br>あと、三点リーダーを使うときは・を三つではなくて、…を使うことをお勧めします。
>話が拡散しているので、ある動詞に「あげる」をつけて謙譲語として使うためには、つける動詞そのものが謙譲語でなくてはならないわけです。<br><br>はあ???<br><br>私の辞書には、謙譲表現として、「読んであげる」が用例として載っていますよ?<br>「読む」が謙譲語とは、これまた初耳ですなあ(笑)<br><br>まあ、どう少なく見積もっても、『文法的には』私がえっけん氏を見下しているとは言えないですな。<br>「ほめてやる」「ほめてつかわす」と書いていれば、そのご批判は妥当ですが。<br><br>ここは氏も、「はむはむ氏は、丁寧な言葉を使う」と、私が丁寧な言葉を使っている事実はお認めになっていることですし・・・。<br><br>>あと、三点リーダーを使うときは・を三つではなくて、…を使うことをお勧めします。<br><br>こんな、それこそどうでもいいことには、従えません(笑)。
横から失礼します。<br><br>>私の辞書には、謙譲表現として、「読んであげる」が用例として載っていますよ? <br><br>これ、私としてはものすごい違和感を感じるんですが、なんて辞書ですか?
「読んであげる」が謙譲語と言う事についてですが、それは先述の旺文社の辞書でよろしいでしょうか。<br>僕も「読む」が謙譲語と言う事には納得できませんが、どちらかと言うと「読んであげる」を謙譲語として紹介している、その辞書の方が信用に足らないのですが。<br><br>>『文法的には』私がえっけん氏を見下しているとは言えないですな<br>丁寧な言葉をもって嘲笑しているに過ぎません。それを慇懃無礼と言うのです。発言者にその意思が無くとも、相手にそう思われれば、何の意味もありません。<br><br>>三点リーダー<br>もちろん従う必要は無いのですが、そこまで単語の意味に拘るのであれば、「・」を三つ使うのは、間違った用法なので、自説に説得力をもたせるには、「…」の方がよろしいかと思います。
私も初耳です。本当に「読んであげる」が謙譲表現の用例として載っているのですか?<br>少なくても、大辞林と大辞泉によると、それは「読んでやる」の丁寧表現でしょう。あと、定義論争を本気でするつもりなら、単一の辞典を用いるべきではないです。
>これ、私としてはものすごい違和感を感じるんですが、なんて辞書ですか? <br><br>上にも書きましたが、旺文社の国語辞典の第八版です。<br><br>あと、しばたさんも訂正されたことですし、僕も訂正します。<br><br>>目上に対して「ほめてあげる」が失礼な言い方に感じられるのは、おそらくは過剰な敬意を表すことにになるからだと思われます。<br><br>これは、自分でも考えがまとまっていないのに書いたので、取り消させていただきます。<br>目上に対する「あげる」が不自然であるのは、やはり敬語としての価値が下がってきているからでしょう。<br><br>ですから、えっけんさんが目上の方であれば、「賞賛させていただきます」のような表現が適切だとは僕も思います。<br><br>しかし、私と彼は、氏も認めておられるように、対等の立場です。であるなら、価値が下がり気味の「あげる」くらいが敬語としてふさわしいのではないでしょうか?<br>対等の、しかもあのくらいのエントリーに対して、過剰に大絶賛したら、かえってバカにしていることになるでしょうね。
あ、使用辞書についてはすでに書かれていましたか、失礼しました。
意の謙譲表現をつくる。「読んで−」<br><br>とはっきり書いていますよ?
>丁寧な言葉をもって嘲笑しているに過ぎません。それを慇懃無礼と言うのです。<br><br>敬語には、確かに使用することによって相手を貶める機能もまたあります。<br><br>しかし、そのことによって、敬語が敬語ではなく、罵倒の表現だと言われれば、それは違うと言うしかないでしょう。<br><br>あのエントリーの内容自体は、本当に好感が持てましたよ。あなたが信じたくなければそれでもけっこうですけれども、真実です。
あ、わかりました、やっぱりはむはむ氏は、相手(この場合僕)を馬鹿にしているのでしょう。<br>敬語の体裁を取って、嘲笑した事が明らかにされました。<br>「あのくらいのエントリー」からそれが明確になりました。
ほんと、素直じゃない方だ。<br>まあ、ある意味、そういうところがかわいいから、僕のようなえっけんヲチャが絶えないのでしょうけれども。<br><br>本当にバカなエントリーを書いたら、ストレートに真っ向から批判しますよ。<br>今までも、さんざんしてきたように(笑)。<br><br>思った本音をそのままストレートに書く、これがおれの誇りであり、信念です。
好感を持てたエントリーだ、しかしむちゃくちゃすごい意見を言っっているほどのエントリーではない。「あのくらいかな。<br><br>何かおかしいですか?
はむはむさんも、こういう言い回しが出来るようになるとよいですね☆<br>http://www.hatena.ne.jp/1123899251
まあ、長々とお話してきましたが、「ほめてあげる」は、少なくとも対等の相手であれば謙譲語である、少なくとも、『文法的には』、侮蔑した表現ではない、という結論でよろしいんじゃないでしょうか?<br><br>あと、今さらながら気づいたんですけど、目上の人に対して、面と向かって高く評価するってこと自体が、実はあまりないことですよね?<br>「いやー、教授のご研究、大変すばらしいです」って、大変すばらしいから教授になってるっちゅーの!(笑)<br><br>それと、おれを「粘着君」と罵倒したことに対して、謝罪と賠償を(ry
>はじめま略さん。<br><br>だからなんでおれがえっけんさんより目下の設定に自動的にされているのかってお尋ねしてるんですよ?<br><br>僕はあなたがたとは違って、えっけんさんの家来ではないんですわ。
>僕はあなたがたとは違って、えっけんさんの家来ではないんですわ。 <br>これは見過ごせません。私は家来でも何もありません。訂正してください。
>これは見過ごせません。私は家来でも何もありません。訂正してください。<br><br>これは申し訳ない。慎んで、訂正させていただきます。<br><br>では、あなたも私を罵倒したことに対して、謝罪と訂正を(ry
「粘着君」という表現でしょうか。これに対して今さら謝罪と訂正を求めるなら、どうして最初に<br><br>>はじめまして。どうも、粘着君です(笑)。<br><br>などということを書いたのでしょうか?私はこれを読んではむはむさん自身が自覚している表現だと思ったのですが。気が変わってむかついたから直せということでしょうか?
しばたさん。<br><br>でも、僕はあなたには好感を抱いています。<br><br>しっかりと辞書を調べ、きちんと論拠を提示し、真っ向から私を批判された。<br>そのことは、私も大変うれしく思います。<br><br>少なくとも、いつも質問をはぐらかしたり、斜め上を行く反論をされるえっけんさんとは大違いです。<br>本当に、家来ではありませんでしたな。ごめんなさい。
ああ、これまた誤解を・・・。<br><br>>謝罪と賠償を(ry<br><br>と言いますのは、我々の世界で、友好的な方々と冗談を言い合うときの、常套句なわけですよ。<br><br>ですから、あなたに本当に謝罪と賠償を求めているわけではありません(だいたい、賠償って、具体的にどうしろってんだよ?)。<br><br>というわけで、謝罪していただかなくてけっこうです。そもそも、僕が粘着なのは事実ですし(笑)。<br><br>ただ、同じ粘着でも、正論を言う粘着と、言わない粘着がいる、これは事実です。
蛇足ながら、しばたさんがご自分の間違いをお認めになって訂正されたことも、立派なことだと思います。<br><br>おれも含めて、人間誰しもしょっちゅう間違う動物です。<br>しかし、自分の間違いを認めることができるか否か、それは大きな違いだと考えております。
こんにちは。<br><br> 昨日から尊敬語と謙譲語、ならびに「あげる」の用法に興味を持っていたものです。<br><br> わかりやすい解説をありがとうございます。おかげで尊敬語と謙譲語、ならびに「あげる」の用法について少し賢くなりました。<br><br> コメント欄もいろいろな人間模様があって素敵ですね。
はじめまして。<br>論争が終った後にのこのこ出てくるのもアレなんですが、少々気になった点が。<br>あげるの意味はgoo辞書を読む限りでは(22)が正解な気がします。<br>今回の使われ方は辞書に記載されているとおりです。<br>(12)は動詞単体で使われた場合の意味ではないかと思われます。<br>また、文中に何故「ほめてあげる」が上から下へ見下しているのかの理由が書かれていない。<br>「google検索先では躾の言葉として多用されているのだからそれが正しい」<br>というのは理由にはなりませんし。<br><br>それならば「ほめてあげる」という言葉が適切かとそうではないと自分も考えるんですが、<br>それが何故かという理由を明確に言葉にできないため、悶々としています。<br>思考実験として「外人に何故適切ではないかと聞かれたときの模範解答」というのをやってみると、<br>まるで答えが思いつかないという。<br>〜てあげるという言葉の押し付けがましさ感というのが原因だとは思うのですが…
あげるの意味が(22)ならば、ますます「ほめてあげる」は謙譲語ではありませんね。
謙譲語ではないが、見下した表現とも言えないということですか。
「ほめてあげる」だと他者のために(しかたなく)してやる、という格好になるので、心がこもってない(ほめてやりさえすれば満足するんだろう)という見下した言い方になるように思います。
Woodsさん、その用例はどちらからでしょうか?<br>現在参照可能なgoo辞書では、「しかたなく」というようなニュアンスは無いようですが。
思うんですけどね、辞書的な意味がどうであろうと、社会に出て、「俺の使い方は間違っていない、辞書にも出ている!」と主張し、あくまで謙譲の意味をもって「ほめてあげます」と言っても、(それが文法的に正解であろうとなかろうと)謙譲の意味をもって使った人は恥をかくんですよ。<br>それだけ。
その理由を記載しないと、結局「この言葉が適切でない理由は適切でないからだ!」というトートロジーに陥ってしまいそうで…<br>社会的コンセンサスが形成されているということを明示する方法というのも難しいですし。<br><br>yahooの大辞泉の「あげる」の14項が適切でない理由になるかもしれません。<br>http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%A4%A2%A4%B2%A4%EB&stype=0&dtype=0<br>「他者に対し恩恵として行う」から、主体と客体の間に上下関係が発生してしまうからという理由が正しいでしょうか。
torinさんへ<br>継続的な精査、頭の下がる思いです。